治療が気づきを奪ってしまうとき
― 変えないという選択と、オステオパシーが考える治癒のプロセス ―
施術を続けていると、
「ここは良くなったけれど、今度は別の場所が痛くなった」
そんな声を聞くことがあります。
それが2人、3人と続いたとき、
私はある問いを持つようになりました。
治療という行為そのものが、
その人にとって本来必要だった“気づき”を
先回りして奪ってしまうことはないのだろうか。
治療を受けてもなかなか良くならない理由
治療を受けているのに変化が出ない。
慢性的な症状がなかなか良くならない。
こうした状態は、
「治療が合っていない」「身体が悪い」
という単純な話ではないと、私は考えています。
身体は本来、理由なく不調を起こすことはありません。
そこには必ず、その人なりの歴史と意味があります。
伝統的オステオパシーでは、
症状を「取り除くべきもの」とは捉えません。
生命が秩序を取り戻そうとする過程で現れた、
ひとつの表現として扱います。
外側から症状だけを整えすぎると、
本来その人が身体を通して出会うはずだった問いが、
先送りにされてしまうことがあります。
すると身体は、
別の場所、別の症状として、
再びサインを出し始めます。
伝統的オステオパシーが考える「治癒」とは何か
私が大切にしている伝統的オステオパシーの視点では、
生命は「内側から生まれるもの」ではなく、
外側からやってくるものとして捉えます。
一次呼吸と呼ばれる、
自然界に遍在する呼吸に意識が同期していくと、
内側と外側という感覚そのものが次第に消えていきます。
そのとき、
肉体と自然界との境界線は溶け、
人は個としてではなく、
オーシャンの一部として存在し始めます。
そこには、
「治そうとする私」
「治される身体」
という関係性は存在しません。
あるのは、
起源へと還ろうとする生命の流れだけです。
伝統的オステオパシーの治癒とは、
何かを変えることではなく、
生命が本来の秩序を思い出すための場を
静かに整えるプロセスだと私は考えています。
なぜ強く介入しないのか ― 変えないという選択
なかなか変化が起きない方がいます。
そのとき私たちは、
「もっと何かをしよう」とは考えません。
それは治療が間違っているのではなく、
その人の生命が「今は変えない」という選択をしている状態
かもしれないからです。
伝統的オステオパシーでは、
術者の意図や
「良くしてあげたい」という思いさえも、
介入と捉えます。
無理に引っ張るのではなく、
方向づけだけを行い、
あとは待つ。
静けさの中で、
生命そのものに委ねる。
それが、私たちの基本的な態度です。
腎臓移植の経験が私を哲学へ導いた
私自身、20代後半に腎不全を患い、
腎臓移植を経験しました。
その出来事をきっかけに、
- なぜ人は病気になるのか
- 健康な人と病気の人の違いは何なのか
こうした問いが、
私の中で深く根を張るようになりました。
あの出来事は、
治すことよりも、
生命の秩序に耳を澄ますという在り方へ向かうための
重要なターニングポイントでした。
変化は与えられるものではない
変化は、外から与えられるものではありません。
生命が、自らの完璧さを思い出したとき、
自然に起こるものです。
私は施術によって人を変えようとはしません。
ただ、
その人の中にすでに存在している健康と、
それを生み出した源とが、
再びつながるための場を整えるだけです。
治療を受けてもなかなか良くならない。
そんなときこそ、
「何を変えるか」ではなく、
「何を待つのか」
という視点が必要なのかもしれません。
それが、
私が伝統的オステオパシーを通して行っている治療です。
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